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アルムナイ制度=人生の奥行×感謝

「辞めたい」その意思を伝えたとき

「辞めたいと思っています。」
社内で一番奥の会議室で、勇気を振り絞って伝えました。

手は汗でびっしょり。
足は着いているかどうかの感覚もなく、声も震えていました。

すると、上司の答えはこうでした。

「いいよ。ただ、なかがまさんの次のことを教えてもらえるかな?その内容によっては、もう少し俺らと一緒に働いて、って言うかも。」

補佐ではなく自分で作っていきたい、プロジェクトを動かせるようになっていきたい。
残業なしの派遣社員として働きながら、技術職の正社員として就職活動をしたい。

そんな想いで伝えた「退職の希望」でした。

「わかった、じゃあこうしよう。転職活動に使う職務経歴書は俺に見せて。なかがまさんは、きっと過小評価した内容で作るだろうから。笑。

あと、これはできたらでいいけど・・・外注として、俺の仕事を受けてくれるかな?もちろん全部とはいわない。転職活動の妨げにならない範囲でいいよ。開発の仕事は続けていた方がいい。転職活動のとき実績になるし、技術職としての感覚は持ち続けていた方がいい。」

会社で働く意味とは?

「どうしてこんなにしてくれるんですか?」

その質問に対する上司の回答を、10年経った今も忘れることができません。

「どうして?う~ん。そうだな・・・ひとことでいうと、俺の仕事だからかな。笑。

働くってさ、人生のほんの一部分でさ。会社での業務は「人間が成長するためのひとつの手段」ってだけだと、俺は思うんだよね。そのときさ「上司」としての役割ってなんだろう?って考えてみると答えはシンプルだよ。自分の元に配属された部員の成長を助けること。ただそれだけだよ。」

「でも・・・私はこんなにお世話になって、育ててもらったのに・・・あんなに簡単にいいよって・・・」

「そもそもさ、なかがまさんの働く場所を決める権利なんて俺にはないでしょ?

なかがまさんは、伸びしろがたくさんある。だから、もっともっと羽ばたいていってほしい。俺よりできる人の方が世の中には多いんだし。優秀な人に出会ってほしい。それを助けることがあったらしたい、それだけなんだよ。笑。

まあ、希望をいうとね・・・退職後もどんな風に活躍をしているか知らせてくれたらいいな、とは思うよ。あわよくば、外で得た技術や情報を教えてもらえたら~とかね。ただそれは、退職者の自由だよ。それと、外を見てまた戻りたいって思ったら戻ってくればいい。あっ、こっちに受け入れられるキャパがあったらっていうのもあるけど。笑」

上司に辞めたい意思を伝えて、会議室をでるとき、緊張でこぶしを強く握りしめていたせいか、手のひらには爪の跡がついていました。

そのくらい、当時の私は辞めるということに対して「裏切り者」というネガティブな印象があったのです。

辞めることの自由を与えられた従業員の意識

退職って、お世話になった人達を裏切ることではないんだ。
上司と部下という上下の関係が、「横の繋がりに変わる」ことなんだ。
全然ネガティブなことじゃなんだ!

そう気が付いたとき、脳内がキランとしました。

引き継ぎも「マニュアル作り」というひとつの業務ではなく「次の人の仕事をいかにしやすくするか」という意識になりました。もし、後任が見つからなかったら「見つかるまで居よう」という気持ちさえ湧いてきます。もちろん「明日から行かない」なんてことは起こりません。相談して決めた退職日に向けて「新しい体制を作っていく」そんな気持ちでした。

「自分の退職のために迷惑をかけるなんて絶対ないようにしよう」という強い意識が芽生えてきます。

退職後は・・・私はその上司に対して、感謝の気持ちしかありません。
退職して10年以上が経ちますが、その気持ちは今も色あせることがありません。

「その上司に何か返せることはないか・・・」

当時はプログラム開発、今はセラピストという全くの異業種ではありますが、折々で思います。

もし「なかがまさん、お願いがあるんだけど。」と言われたら、その答えは迷うことなく「はい!よろこんで!」です。笑

もし、なにかの縁があって、その会社への入社を迷っている人がいたらこう伝えます。

「あの会社、すごくいいよ。私はお勧めします。」そう言って先の話をするでしょう。

 退職後も、部の飲み会に声をかけてもらったときは、参加しています。

 その度、新しく出会った人に対しては「どれだけすばらしい上司であるか」を語りました。正確には、語らずにはいれらないという感じです。私から話を聞いた「こうして辞めたあともつながっているってすごいですね。辞めることって意外とポジティブなんだ。」って言われます。もちろん、そんないい上司ばかりではありませんが、外部の人からの声って想像以上に影響がるんだなぁ~と感じています。

 つまり、退職を後押ししてくれただけでなく、退職後のことを応援してくれたことによって、ささやかではありますが、その会社の広告塔の一人になったのです。

人生の教訓

先日、元上司会ったとき、こんなことを言っていました。

「なんかさ、こんなに感謝されるっていうのもさ、悪くないね。笑
俺の考える上司の在り方は間違っていなかったんだな、って思うとちょっとうれしいな。
周りには、保守的なヤツが多いからさ。たまにブレそうにもなるんだよね。

とにかくさ、なかがまさんの成長をさ、こうして退職後も見続けていられるって、管理職冥利に尽きるよ。知らない世界の話を聞けて勉強になるし。これらもさ一助になれたらって思っているよ。」

信頼という名の未来・・・

「上司」という力で動かし、「組織」としての枠で縛り付けておく関係なんて、本当に「もろいもの」だと思っています。

信頼という形で結ばれた人間関係は、たとえ切りたいと思っても切ることができないものです。

「業務遂行」を「人の能力」としてとらえ、そして、会社という枠を超え、「人の成長」が「企業の利益」となり「人の人生を豊かにする」という関係で繋がっていく・・・

人と会社、人と仕事が、そんな関係性を構築できたら、日本の未来ってもっともっと広がっていくんじゃないかな・・・と、思っています。

番外編

縛り付けた雇用の悲劇

20代のとき働いていた会社での話です。

辞めたいと意思を伝えてから承認を得るまでに1年近くかかった会社がありました。
さらに、そこから後任を見つけるのに3か月かかり、さらに、引き継ぎに1か月半ほどかかりました。つまり辞めたいと思ってから実に1年半かかったということです。

後ろ向きの気持ちで過ごす1年半は、自分にとっても会社にとってもどれだけ不幸だったかと思います。

そして、やっと辞められたと思ったら、電話が何度もかかってきました。

その電話を私はどうしたでしょうか。

正直に告白すると、その電話に出たことは1度もありませんでした。

その会社にお世話になったことは事実です。
ですが、最後が「辞めたいのに1年半も辞めさせてもらえなかった。」

なので「二度とかかわりたくない。なんとか早く縁を切りたい」そんな思い出になってしまったのです。

現金な話ですが、気持ちよく送り出してもらえていたら「できるだけ力になりたい」そう思っていたと思います。電話にも出て、場合によっては、会社へ出向き、質問に答えたと思います。

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